② 哲学は、通常、社会関係における一般的指導原理と見られている。これは哲学のうち、特に社会関係的哲学、つまり私の言う人間系の哲学の場合である。しかし哲学には、その外に、自然的なものへの活動原理と思想的なものへの活動原理とがある。つまり自然系の哲学、思想系の哲学である。自然系の哲学は、通常、なじみがないが、しかし近年話題になっている環境保全という言葉は、実質的に哲学的性格つまり自然一般への一般的態度を意味している。しかしその言葉に含まれるより原理的な言葉はまだ明確でない。思想系の哲学の場合、原理は認識方法論として役立つ。このことは、すでに1000年以上昔の『論語』編集者たちが、いわゆる道の学の一部として認識していたことであり、以前本論者が詳述したように、必要・十分条件、本質性(同一性・差異性・対立)の原理が、具体的適用例と共に述べられている。本論者の立場から厳密に言えば、必要・十分条件は、哲学段階の思想ではなく学問・芸術段階の原理であるが、本質性は、ヘーゲル論理学に含まれているように、本来的に哲学段階の原理である。必要・十分条件と本質性という二つの原理については、以前、本論者も自己紹介文における方法論として用いた。しかし思想系の哲学は、この二つの原理には限られない。特に本論者が提唱する新しい哲学では、そのすべてが宇宙全体の究極的原理であり、また同時に認識方法論でもある。